今日の日はさようなら(感想)
晩御飯、何?
そんな何気ないやり取りが。
ただいま、おかえり。
そんな何気ない日常が。
車窓から見える自然、野菜を切る音、家族の笑い声、降り注ぐ日差し。
そんな何気ない光景が。
どんなに大切なんだろう
生きる、とか、死ぬ、とか。
耕太は、その境目で一生懸命生きていたのに。
当たり前を、どれだけ見逃してしまっているのだろう。
死ぬことは、終わることじゃない。
自らの手でそう書いた耕太。
でも本当は、
死ぬということが、
どんどん減っていく”%”が、
どんなに怖かったんだろう。
再発したとき、
どんなに苦しかったんだろう。
カテーテルを外してください、そう言われた時のお母さんの表情。
外します、と言われた時の、お父さんの悲痛な声。
親不孝なんかじゃない。
懸命に生きてくれて、ありがとう。
最後に発した言葉は、
「晩御飯なに?」
—茶碗蒸しだよ。
苦しくて苦しくて、
毎日を何となく生きているという事実が、のしかかる。
病、ガン。決して他人事ではない。
表情、息遣い、声色。
その全てが、あまりにも切なくて、震える。
何度観たって、苦しくて。
涙が止まらない。
華奢で細い体が、消えてしまいそうで。
生と死。命。
貴方が身を削って演じてくれた耕太が、その重みを教えてくれたよ。
今日の日は、さようなら。
また会う日まで。